耳垢イチゴジャム

こじらせ女の独り言

悲しい話

人はどういうときに悲しいと思うのか。

私は意志を感じない受動的な言動に悲しみを覚えることがある。



大学2年の秋に新宿二丁目に行った。

行った理由は好奇心だ。一度でいいから「あんたみたいな暗い女、嫌いよ」とオカマに罵られたかった。現実は違った。お世辞だとは思うが、ゲイに気に入って貰えた。想像の真逆だ。welcomeな感じに少々驚きもした。今でも宝物のような体験だ。現金があまりなかったからドリンクを出すことができず、ただただ長居をしてしまって申し訳なく感じたことを覚えている。



テレビで有名なミックスバーでしばらく飲んだ後、そこでの話がキッカケになって別のミックスバー(時間帯が変わるとレズバーのときもある)に案内してもらった。



私は男が好きだ。物心ついたころから何人も好きになった。

でも女を好きになることもある。

小学3年生のときに転校してきた女の子に恋をした(今思えば、だ)。その女の子はとんでもなくかわいくきれいで周りの女の子とは全然違った。私以外にも彼女に恋をした人間がいただろう。そして誰もが彼女と友達になりたいと思ったはずだ。彼女は緊張しているようだったが、すぐにみんなと仲良くなった。

私もそのひとりだった。彼女と手紙を交換しあったり、私が絵を描いてプレゼントしたり、家にいったりした。

でも問題が発生した。彼女には私より仲のいい友達ができた。それは仕方がなかった。彼女と私の家は真逆の方面にあったし、部活も違った。私より仲のいい友達ができてもおかしくはなかった。私ははじめて家族以外の人間に嫉妬心を覚えた。怒りのようなものも感じた。

当時の私は本当に酷かった。彼女を困らせる手紙を書いた。あんなもの渡されたほうはたまらないだろう。内容はよく覚えていないが嫉妬の塊に違いない。

繰り返すが、あれは今思えば恋だった。そう断言できるのは15年経った今でも彼女のことを心のどこかで好きだと思っているからだ。彼女は男が好きだし男とのセックスが好きだ。



ミックスバーでの話に戻る。二丁目といえばオカマやゲイのイメージが強いかもしれないが、レズもいる。私が女を好きになるのはただただ好きになるからだ。でも、そこで聞いた話は違った。男が嫌い、性器を見た時に嫌悪感を覚えた、男が気持ち悪い...そういう理由でレズになった人もいるらしい。

私も男に対して気持ち悪いと思うことはあるが、女に対しても思う。そういう感覚はわからなくはないが、そんな理由で人を好きになるなんて私は嫌だと思った。男が嫌いだから女が好き。そんな悲しいことってあるか。そんな恋をしてしまうこと自体悲しいし、彼女たちにそんな思いをさせた人間がいることも悲しいと思った。

20歳そこそこの私の価値観に他人の風が吹いた。外国人と話すときより強い違和感を感じた。意思がないわけではないかもしれない、というかそういう選択しか残されていなかったのかもしれない。でも、そんな受動的な恋ってあるか。

まるでこの世に女しかいないから女を好きになったと言われているような気分だった。そうだ。彼女たちの世界には女しかいない。

私の世界には男も女もいる。

同じ日本に住んでいても見えている世界や置かれている環境は違う。それぞれの恋がある。



あの日、私をなにかに導いてくれたゲイはもう二丁目にいない。

私はもう7年間恋をしていない。

私の世界には空間を共にしているだけの物体しかいない。私が恋した彼女には数年付き合っている彼氏がいる。私には何もない。孤独。