耳垢イチゴジャム

こじらせ女の独り言

鬱病になってできるようになったこと

子供の頃、母親から「遅い」「とろい」と言われることがあった。自分でもたしかにそうだと思った。でも、言われなければ分からなかった。

 

自分の性格は自分にこそわかるものだろう。自分だからこそ誰よりも自分を知っているものだと思っていた。自分も、自分の性格も知らずに。

 

以前、鬱病になったとブログに書いた。

mimiakaichigojam.hatenadiary.com

私は12月のある日、鬱病だと診断されたのだ。

 

 

あれから2ヶ月と少し経った。抗鬱薬はまだ出せないということで抗鬱作用のある抗不安薬を飲んでいる。抗不安薬ベンゾジアゼピン系)を飲んでいたときに比べて、良くなっている気はする。ベンゾジアゼピン系は正直効かなかった。

 

鬱病になって悪いことばかり起きている、というか鬱病になったことそのものが悪いことであるとは思うが、良いことがあった。

 

自己分析がやっとこの歳になってできるようになったのだ。これは私の中では素晴らしい進歩だった。正直、感動した。

 

私がなぜ鬱病になったのか、私がなぜこういう性格になったのか。すべてではないが考え、理解し、言葉にして伝えることができた。私の中では大進歩だ。

 

どうして自己分析ができるようになったのか。おそらく鬱病になってから自分と向き合う時間が増えたからであろう。

 

鬱病というのは本当に厄介で哀しいことだけが津波のように押し寄せて心を荒らしていく。そしてその津波は短時間でグワッと押し寄せたり、長時間続いたりする。哀しいことが脳を支配して心を荒らしたと思えば、次にやってくるのは漠然とした恐怖、不安、焦燥感だ。そうなるともうなにもできない。無気力というのは少し違う、なにもできないのだ。エネルギーがすべてかっさらわれて無になってしまう。

 

しかし、そんな中で考えることができた時間もあった。不思議なもので、鬱病になったのは私自身を成長させるためだったのかもしれないと思う。

 

自分のことは自分が一番分かってるなんてのは嘘だ。分かってない。そしてそんなことを偉そうに論破しようとしてくる他人もまた分かってない。結局、自分のことは自分にしかわからない。しかし、それは冷静で余裕のある人間だけが実現できる夢だ。

 

「自分探しの旅」なんていう人々をバカにしていたが、彼らもまたある種の正直者ではないか。私は旅に出ずとも鬱病になったことで自分とはなにか、少し理解できた。

 

 

また機会があればフェイクを混じらせて私の話をしたい。

 

 

 

 

それでは、また。