耳垢イチゴジャム

こじらせ女の独り言

私にとってのかっこよさ

何歳のころからかは忘れたが、私はかっこつけである。

その姿が無様でも自分がかっこいいと思えばかっこいい、そんな時代があった。今は昔より自分を客観視することができているので、ブスのかっこつけであることは自覚できている。

自分がかっこつけだと思ったのはたしか母親に言われたからだと記憶している。

たしこにそうだ。私はかっこいいことが好きだ。かっこいいと言われるのも好きだ。



具体的なかっこつけエピソードを小学生の頃から振り返っていく。私のことだから毎日のようにかっこつけていたのであろうが、そこまで記憶がよくはないのでいくつか、だ。

小学校1年生のころ、私はたんぼに生えている米(精米されていないもの)を一粒千切って食っていた。ワイルドさがかっこいいと思っていた。何人かで下校する際にそれを日課であると勧めるほど脳がバグっていた。友人たちは口には運んでくれた。リアクションは散々だったが。

小学校2年~だいたい小学校5年生ぐらいまで男子との口喧嘩では必ず勝つし、相手が手を出してこようがこまいがおかまいなしにボコボコにしていた。泣くまでやる、謝るまでやる、売られた喧嘩は買うタイプの女だった。女子からはかっこいいと言われていたが、私はこれに関してはかっこいいとは思っていなかった。本当はこんなことをしたくなかったからだ。喧嘩なんてないほうがいい。誰も他人を傷つけない方がいい。それでも頭にくることを言われたらボコボコに殴っていた。

これをやめようと決意した日が二度あった。一度目は意図せず金玉を蹴り上げてしまった日。今思うと子供の金玉はソフトで小さくダメージはかなりデカかったと思う。そのことを母親に報告すると、金玉だけは絶対ダメと言われた。たしかにそうだ。金玉だけはダメだ。

二度目はいつも生意気を言ってくる男子の肩にそっと手をポンと置いたとき、彼は殴られると思って反射的に顔をよけた。このとき、私はとんでもないことをしてしまったと思った。たしかに私は男子達に言葉によって傷つけられ、そのたびに身体で反撃してきたがこんなことがあってはならないと思った。

それから私は誰にも手をあげなくなった。
これは私にとってかっこいいことなんかではない。



小学校3年生のころ、イケメンのいとこの前でかっこつけたくなったことがある。カフェで家族同士ランチをとっていた。そこにパセリがのっていた。なにを思ったのか、パセリを食える私は最高にかっこいい、見てろと言わんばかりにパセリを口に運んだ。

とても不味かった。不味すぎて涙が出た。
パセリ農家には申し訳ないが、本気で泣いた。

私のかっこつけエピソードは実に痛々しい。



小学校4年生のころは男子の服を着ることにはまっていた。このころから私は自分がブスであると強く意識をし始め、ブスのくせにかわいい服を着さされること、ブスのくせにかわいい服に憧れることに抵抗感をもつようになった。

私はいつも暗い色の服を着ていた。

靴もスニーカー。ハルベリーにすっかりハマってしまった母親のせいで短髪にされた。まるで男子だ。

男子と間違えられることはよくあったが、それについてどう思っていたか、覚えていない。米とかパセリとかどうでもいいことよりそこを覚えていたかった。子供だからこそ思うことがあっただろう。なんだよ、米とかパセリとか。アホが。



中学生になるとブックオフに通い詰めるようになった。マンガやCDをとにかく漁った。最初はギャグマンガや小学校のころから好きな邦楽のアーティストのものを、そしてある日洋楽のオムニバスに出会った。

たしか980円ぐらいだった。中には当時世間を賑わせていたT.A.T.u.Hilary DuffGwen StefaniRihannaなど名だたる大物セレブが名前を連ねていた。真の洋楽好きには浅いと思われるかもしれないが、そのオムニバスこそが私の洋楽への入り口だった。そのオムニバスの歌詞をすべて覚え、興味のあるものは翻訳し、好きなセレブについてはゴシップを調べた。かっこいい時間だった。私にとって洋楽がかっこいい存在だった。洋楽好きな私もかっこいいと思っていた。このころから邦楽はあまり聞かなくなってしまった。

今でも洋楽が好きだ。今ではプログレッシブハウス、ダブステ、ヒップホップ、R&B、レゲエ、テクノ、割となんでも聞く。

邦楽ものめり込むことはなくなってしまったが、音が好きなものに関しては聞く。ただ邦楽を聞いていても自分には酔えない。そもそも音楽は自分に酔うためのツールではないのだが。私はかっこよさを求める人間なのだ。



高校生になるとスケートブランドにハマった。スケートは一切しないが、キャップやTシャツ、ステッカーを狂ったように集めていた。エクストララージ(なぜかエイプには興味がわかなかった)、stussy、THRASHER、SUPRAなどなど、他にも何個かあったが名前が思い出せない。とにかく小遣いは全部趣味に使っていた。

私にはキャップが似合う。顔は貧相でブスだが頭の形がいいのか似合うのである。

かっこいいと自負していた。

私は小学校のころから女ウケする絵がうまい。下手ではあるが、絵が描けた。絵というよりイラスト。イラストのセンスを使ってノートをデコレーションし、シールを貼り付けひたすら勉強そっちのけで唯一無二の所有物をこしらえていた。 

実に無駄な時間だった。そんなんだから高3の夏のテストでmakeの過去形をmakedと書いてしまうのだ。

実にダサい。



ただ、私はブスでセンスもないと思っていたが、周りの反応は違うようだった。顔に関しては周知の事実なのでなにも言われないが、センスがいいと言われることが多かった。なにをしてもだ。スポーツ以外なら。

中学生のときから、本当はクリエイティブな方向に行きたかった。本当はダサくても美術部に入りたかった。私は描くのはうまいが色の付け方を知らなかった。習いたかったのだ。母親にもう反対された。

テニス部に入れと言われた。テニス部に入って運動をしてくれと。

テニス部は実にダサい組織だった。嫌だった。ブスでチビでデブで意地の悪い先輩面したアホ女の吹き溜まりだった。顧問の女もアホでブス。どうしようもない組織だ。二年目からは幽霊部員になった。意地の悪いアホと同じ空間にいることは私にとってダサいことだ。ましてやそれを怒らせないように、気に入られるように立ち振る舞うことは死ぬほどダサい。

高校生になるとダンスサークルに入った。ここにも意地の悪い先輩面したブスがいた。でも仕方ない。ダンスはやりたいことだし、外見でバカにされようがいびられようが私にとってはどうでもいい。私には仲間がいた。かっこいいダンスを考えてかっこいい時間をすごす。先輩が退部していくたびにサークルが楽しくなった。後輩のことは大好きだった。私は先輩にはめぐまれない人生だったが、後輩のことはとにかく大切にしたかった。最高にクールな時間だった。



大学ではかっこいいとはかけ離れた世界にいた。ゴリゴリの理学部。ゴリゴリの理系。ダサいことしかない。でも、私はダサい中でかっこいいことをするのも好きだ。私は大学でもかっこつけてた。勉強以外では恋愛も頑張ってみようとしたけどダメだった。酒の味をほとんど覚えて、タバコも吸ってみた。クラブにも行った。フェスにも行った。それなりに大学生活を楽しんだ。

社会人になってからはスーツ姿がかっこいいだとか、酒を飲む姿がかっこいいだとか、そういう誉められかたしかしない。どんどんつきあう人が減っていっている、外の人間としかコミュニケーションをとれなくなってしまったからだ。



ふとしたときにかっこいいと言われると私が私であることや、昔の私を思い出す。

私はかっこよさを追求している。

そして人生の岐路に差し掛かろうとしている。中盤に述べたように、私は本当はクリエイティブなことがしたいのだ。作品を作りたい。研究もしたかった。本当は。ただそれで飯を食っていけるのかは分からない。飯を食うために仕事を選ばなければいけないなんて実にダサい。

すっかりダサい人間になってしまった。

いつか、本当にやりたかったことをしたい。
いつか、本当にかっこいい人間になりたい。